お侍様 小劇場

   “いない いない” (お侍 番外編 100)
 


       



都内どころか都心の一角、
日本の政治を動かす省庁の本丸が集まる街が、
ほんの目と鼻の先…とは思えぬような。
それは閑静で趣きある高貴な佇まいを満たしたエリアのただ中。
大使館クラスの瀟洒な豪邸やら、
高い塀に囲まれて敷地も含めた内部が全く伺えぬ、
謎めいた邸宅までもが居並ぶその中の、
最も奥向き、
人の出入りも周囲には感じられないような大屋敷の大門のすぐ傍らで、

 「…お忙しいところへ押しかけてごめんね、如月くん。」

白木の大門の作りといい、玉砂利を敷いたエントランスまでの前庭といい、
すっかり日本風の佇まいだというに。
そこへ唐突に舞い降りたかのような存在の彼はといえば、
つややかな金の髪と深みのある白い肌に青い眸という、
日本人とは対極の容姿風貌をした御仁。
髪も肌も、それ自体が光を奥深く呑んでいての、
柔らかく燦めいているかのような。
霞がかかって見えるほどという、そんな繊細な麗しさを抱えながらも、

 「それも、今日はこういう日だって判ってたのに。」

どこか所在なげな佇まいでいるところ。
日頃もそれは嫋やかな印象の強い、
しかもしかも一歩引いた従者然としたお人なものだから、
周囲に居合わせた面々は特に不審を覚えなかったらしいけれど、

 「何を言うてはんの。」

こちらさんもまた、凛と清冽な冴えに満ちたる和風の美人。
絹糸を散らしたような深みのある漆黒の髪、さらさらと揺らして、
心外なことをとかぶりを振ると、

 「此処に居てる知ってて、
  それやったらて避けられてまうより どれほど嬉しいか。」

ふふんと笑った気丈なお顔。
されど、そこには、
若々しいがゆえの気の強さを故意に装った態度が仄見えて。
ああホントは、とても柔らかい気性をし、
察しもよければ懐ろも深いお人でしたよねと。
七郎次が今やっと、相手の人性の奥深さに気づいていたり。

 「ほれほれ。こんなとこで立ち話も何んや。」

埃が立ってて騒がしけど、なに、あと少しで片付きますよって、と、
満面の笑みを向けて来た如月。
言葉だけではなくの、こちらの手を取り“さあさあ”と、
上がっておくれなと七郎次を引っ張り上げてしまう手際の善さよ。
それから、

 「せや、ここに居
(お)いなす皆さんへの、
  予行演習にも付き合ってもらいまひょ。」

ポンとお顔の間近、胸元で白い両の手を合わせると、

 「駅前にある瀬戸屋さんへ行って、季節の練りきり、
  …せやな、そろそろお茶してもええ刻限、みんなの頭数買うといで。」

後はお茶の支度と、
それより何より、僕らが離れに着くまでに、
あれこれ引っ張り出しとう骨董の箱やら何や片付けて、
お座布団用意して…て、きっちり済ませられるか、競争しよやないか。
にっこり微笑って恐ろしいことを言い出した、
今日本日は彼こそが、此処の最高責任者である年若い監督さん。
ひょええっと肩を竦めた若いお女中がいるかと思えば、
そのくらい軽い軽いと余裕で微笑っておいでの男衆もいる中、

 「したら、よ〜いドンっ。」

ぽんっと手を叩いて始まった“予行演習”とやらに、
あれまあと呆気に取られてしまった七郎次だったものの、

 “…そっか。”

そんな競争を仕掛けたことで、
七郎次へと少なからず向いていただろ皆からの注意を、
さりげなくも逸らしてくれたのだなと、
遅ればせながら気がついた。
それでなくとも忙しい時期。
ましてや、使用の予定があってのこと、
その準備に大わらわという、大変な状況にある場所へ、
礼儀知らずにも連絡なしに訪のうてしまった思わぬ存在。
何だ何だと関心が起きてもしょうがない…というレベルで、
成程なぁと感心したらしい金髪の君だったが。

 「すんまへんなぁ。
  お勝手の仕事やお掃除があったよって、女の子が多うて。」

それお支度だ、離れにもご注進だと、
粛然としつつも…蜘蛛の子を散らす勢いの あっと言う間に、
周囲にいたはずの顔触れがさぁっといなくなったのへ。
判りやすくも苦笑をこぼした如月本人はといえば、

 「七郎次にいさんがあんまり綺麗やよって、
  不躾けに見ほれる子ォも多うて…気ぃ悪うせんどってな。」

突然の訪問者だったからじゃあなく、
あまりに麗しいお人が現れて、
しかも噂に名高い“諏訪支家の跡取り”でもある七郎次だと知り、
さわさわ落ち着かなくなった皆だったのをこそ察しての手筈だと。
それぞれがそれなりの家に生まれ育ち、
厳格な躾けの行きとどいている者ばかりなのに、
それがああまでそわそわしてるんですものと。
くすすと微笑った、そちらさまこそ美麗な少年のお言いように、

 「え? あ、や…あの。////////」

あやあや、それは気がつきませんでと、
仄めかしながらお褒めに預かったことへ、
大きく照れつつ口ごもってしまったお兄様だったりしたのだった。



      ◇◇


数寄屋作りの離れには、
お茶室も兼ねているものか、
典雅な日本庭園を見渡せる濡れ縁がある一方で、
主室の一角、畳が半畳ほど退かせるようになっており。
恐らくはその下に、茶釜を据えられる炉が切ってあるのだろう。
床の間には山茶花を淡彩で描いた掛け軸が下がり、
その隣りの違い棚には、
味のある焼きものの一輪挿しが、黒塗りの敷板の上へちょこなんと佇んでいて。
この二、三日は、微妙に大雨が襲ったりもした荒れようだったのが一転して、
今日は朝から絶好の好天でもあり。
外気はさすがに冷たいものの、
庭へと降りそそぐ暖かそうな陽射しが
冬の調度でもあるガラス障子越しながら、
青々とした畳を光らせ、室内へも優しい明るさを届けており。

 「ええお日和になってよかったなぁ。」

気温はぐっと下がるそうやけど、
そんでも晴れてくれた方が気ィも晴れる…と。

 “言いたいトコやけど…。”

こちらも真新しいものか、
そりゃあふかふかな座布団へ互いに座っての向かい合っておれば。
さっきまで此処で“お店”を広げていた、須磨の草の皆様のうちのお人だろ、
妙齢の女性がしずしずと。
ブラウスにVネックのセーターとスカートという、
飾りっ気のないいで立ちながらも、清楚な中に品のある所作でもって、
お茶とお茶菓子を載せた、
落ち着いた飴色の中、木目も鮮やかな盆を運んで来てくださり。

 「まま、どうぞ。」

それを勧めつつ、如月が思い起こしていたのは、

 『…お忙しいところへ押しかけてごめんね、如月くん。』
 『それも、今日はこういう日だって判ってたのに。』

此処に着いてから七郎次が口にした文言だ。
今日はこういう騒ぎの只中にあること、
しいては“無人”ではないことを七郎次が知っていたのは、
何の捻
(ひね)りもない話、昨日 如月がちょっとしたことで連絡をしたからで。

 『え? 東京
(こっち)へ来ているの?』

だったら逢いたいな、お顔を見せてはくれないの?と。
彼を憎からず想う者ならば、あっさりころりと参るような、
そんなお言いようを甘く伸びやかなお声で返してくださったお兄さんだったのへ、

 『やあ、それがそうもいきまへんのえ。』

僕の方かてお逢いしたいのんは山々なんやけど、
1日でお支度整えて、こっちの申し送りも済まさなならん。
せやのに連絡させてもろたんは、あんね?

 『ウチの大将が、ああ・いやいや、良親様が。』

ナンでも先だって、
勘兵衛様の名義になっとぉ、こっちにある別邸、
年末使わしてもらえるて約束しやはったらしな?ということ、
確認をさせてもらうため…だったのだけれども。

 『ああ、うん…そんな約束を…なさってたよ?///////』
 『…どないしはった。なんや声が上ずってはるような。』

何でもないないと、明らかに狼狽えている声で返されたのへ。
これはナニかあったなと、
しかも勘兵衛様と七郎次と二人で関わってるらしいなと、
あっさり伺える可愛げへ、吹き出しそうになりつつも。
何とか我慢をし、気づかなかった振りを押し通しておれば、

 『えと、それって神戸の山荘の話でしょ?』

確かに約束はなさっているけれど、
確認というのなら、こっちより駿河のお家へ問い合わせたほうが…と
言いかかった七郎次だったので、

 『いやいや、違うて。』

大阪の箕面市の、そない言うたら少し山野辺やったかな?

 『駿河の宗家の持ち家やのうて、勘兵衛様個人の…。』

と、そこまで言って、ハッとした。
電話越しとはいえ、相手側の沈黙に微妙な重さを感じたからで。

 『……シチさん?』

完全に私用での電話だったのでと、
親しい会話で使う言い回し、気さくな呼びようをしたところ、

 『………あ、ああ、えっと。ごめんごめん。』

我に返ったか、弾かれたような返事があってから、
そうなんだったら、大丈夫だと思うよ?と。
そのやり取りをしてらした折、自分も丁度居合わせたからねと。
テンポがずれたの埋め合わせるように、
畳み掛けるようにお返事を下さったのだけれど。

 “……………もしかして。”

あの電話が切っ掛けなのならば…。

 「なあ、シチさん?」

特に何かしらの話を切り出すでなく、
置物にでもなりに来たかのような、身の据えようでいるのを感じ取り。

 「もしかして…何か話があってていう、お越しやないんと違うか?」
 「………。」

返事は待たずに、

 「せやかて、それやったらそれこそ、
  こっちの手が空くのは何時ごろや?いうて、
  前もって訊いて来やはるシチさんやと思うし。」

相手の都合を優先するなんて基本、当たり前にこなせるお人だったはずと。
それこそ畳み掛けるように言いつのれば。
ややあって、青玻璃のような双眸が頼りなくもゆらと揺れ、

 「…ご迷惑だったかな。」
 「違うて。」

自分が座していた座布団から、ずずいと前へ身を乗り出した如月くん。
少女と言っても通りそうな痩躯だが、
ああそうだ久蔵殿もそうだよなと思い起こしてしまったほどに、
清冽で無垢なところのまだまだ多いその分だけ、
その気概の鋭なところが、斟酌なく相手へずいと向かってくる。
大胆というのとも違うし、隠し切れない自負の現れというのだろうか。
傲慢な訳でもなくの、だが、
ついつい気が急いてしまって、
素の思惑があっさり露見しやすいというのか。

 「僕からしたら、ごっつい歯痒いことやけど。
  せやけど、シチさん。僕と話がしとぉて来たワケやあれへんのやろ?」
 「   ………。」

言い繕いかけて、だが、都合のいい言い訳を思いつけなんだか、
結果、視線を逸らして口を噤み直した七郎次であり。

 「なんや…何かから逃げて来やはったようにしか見えへんもん。」
 「そんなことは…。」

ちらと上がりかけた視線はだが、すぐにも沈み。
軽く噛みしめられた口許が、
言ってはならぬことをこらえているようにしか見えなくて。

 「勘兵衛様への気持ち、なんやろ? それも、不満とか憤懣とかいう方向の。」
 「………。」

探りをかけてるつもりはない。とはいえ、

 「シチさんほどの我慢強いお人が、
  居ても立ってもおられへんてならはったんや。
  それて、よくせきのことちゃうん?」

そうと口説きつつ、にじり寄ってのお膝に置かれていた手を取れば。
間近にて上げられたお顔が、
ますますのこときつく口許を噛みしめたその分、
何をかこらえるその痛さゆえだろう、
その表情が苦しそうに歪んでしまって何とも痛々しい。

 “………ああ、この人は。”

そうだった、この七郎次は、
あの勘兵衛に…倭の鬼神様に身も心も捧げたお人で。
自分の生命をどうするかを選んでいいという、
人としての究極の権利、だというに。
それを時に諦めねばならぬ、
苛酷な“絶対証人”というお立場なことをも含め。
大切な御主を、そんな宿命ごと、全身全霊で受け止める覚悟でおいで。

 それゆえの滅私奉公を貫いていて。
 それゆえに勘兵衛自身からも寂しがられていたのだと。

ほんの最近、やっとのことで、
双方の真の想いが届き合ったのではなかったか?


  ―― それだというのに、いやさ、それだからこそ


 まるで息の仕方を忘れたように。
 声の出し方を思い出せないように。
 泣き方を知らないかのようにしか見えず、
 それだから苦しいのだろうにと、
 見ていてこちらまでもが切なくなる。

  「僕にも話されへんねやったら、それもええ。
   せやけど…何をしたいか、それだけ聞かして?」


何かからの隠れ家として、自分の傍ら、選んでくれたのならば。
ねえ、その傷心を癒すのへも、手を貸したいと思ってもいいんじゃないの?

 「   な、」

なあともう一押ししかかった、そんな如月のズボンのポケットで、
僕もおりますとの自己主張か、
携帯電話が む"〜んと、どこか不満げに小さく唸ったのだった。



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 *こんな間合いに電話してくるなんて、
  どこのとっぴんしゃんじゃ、こんボケがと。
  御主人様ゆずりの荒くたい口の利き方を、
  内心でやらかしてそうな如月くんでございますが。
(笑)
  …………え〜っと。
  つまりはそういうワケだと、ピンと来たお人も多いことでしょうね。
  シチさん、そこは怒っていいんだよ?
  隠しごとがあったんだと、
  勘兵衛様に咬みついていいんだよ?……ってことで。


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